
日本のスポーツ界の重要参考事項について
(越水源造の先見性)
鉄筋コンクリートの2階建、建物を取り壊すのに費用は2000万円を要しました。
今では、おそらく3000万円を超える資金が必要でしょう。
町田スイミングクラブが、1975年7月4日オープンしてから今日まで50年の半世紀を経過、閉館してから今日まで29年経過いたしましたが、町田スイミングクラブを1996年12月31日閉館してから5年後の町田市教育委員会は
○ 2001年3月31日
忠生第4小学校、木曽小学校、閉校
○ 2002年3月31日
本町田西小学校、緑が丘小学校、原小学校、閉校
○ 2003年3月31日
忠生第6小学校、忠生第7小学校、忠生第5小学校、閉校
○ 2011年3月31日
本町田中学校、閉校
そして、2025年度までに町田市内の小学校は42校から26校まで再編縮小され、なんと16校が閉校となりました。
このような少子化の現象はスポーツ界にとっては、極めて由々しきことです。野球に、サッカー、ゴルフに。
また、日本の65歳以上の人口は2024年9月15日現在3625万人で、総人口に占める割合は29.3%と過去最高を記録しております。
内訳としては、65歳から74歳までの前期高齢者が1615万人、75歳以上の高齢者が、2010万人となっております。将来、人口減少に伴いスポーツクラブの倒産が、数多くなることが、私の目に見えることをここで、ハッキリと宣言しておきたいと思います。そのような時代が目前に迫っていることを述べておきたいと思います。現在、日本の野球界は、巨人軍の黄金時代を築いた、長島 茂雄、王 貞治、そして、メジャーリーグの野茂 英雄、イチロー、大谷 翔平選手の活躍による大記録のお陰で、全盛期を迎えております。しかし、これからの野球界、サッカー界、ゴルフ界始め各種スポーツ界は、大量の人口減少による大変な時代がやって来ます。
○ 町田スイミングクラブでは、全国ジュニアオリンピックに於いて優勝者8種目、入賞者多数、全国ジュニアオリンピック出場選手を多数輩出しました。
全国ジュニアオリンピック入賞者成績
また、背泳ぎ、クロール、25メート完泳した少年少女3万5000名、平泳ぎ、バタフライを加えた4泳法をマスターした子供達、数万名を育成することが出来ました。
初心者から育成コースの子供達指導
120名を長さ25m、幅13m、深さ1.1mのプールに於いて、一度に60分間を安全に指導出来ましたのは、浮きの赤色、黄色、青色の大、中、小、に分けたヘルパー付の紐を腰に巻き着付ける指導法 即ち、このヘルパー法を開発し、安全性を確立したのは、波多野 勲先生に他なりません。今日、日本の水泳界を発展繁栄させた1人として波多野 勲先生の貢献度は、非常に大きなものがあります。
またこのヘルパー法のお陰で町田スイミングクラブは、21年間を無事故で運営し、経営が出来ました。
波多野 勲先生に心から感謝申し上げます。
誠に有難うございました。
○ 毎週日曜日、
15級から1級者までの進級テストの開催
進級テスト一覧表掲載
○ 多摩地区の春秋の公認記録会の開催
また、当時、多摩地区の公認プールは、藤村学園、金子スイミングスクール、町田スイミングクラブの3ヶ所しかありませんでした。
○ 新年フェスティバルの開催
○ 品川とびうお、とびうお杉並、町田スイミングの3クラブ対抗戦 開催
○ 日本では、波多野 勲先生、運動生理学の慈恵医大教授、学芸大学教授の小野 三嗣 先生のご指導により、日本で最初のベビースイミングを始め、全国的に有名になる事ができました。(女性の妊娠中の赤ちゃんは、よう水の中で育っているので水に親しんでいる為)




○ また、町田市水泳協会を1977年創立結成し町田市体育協会に1979年12月に正式に加盟致しました。
事務局は町田スイミングクラブ内に置きました。

○ 私は、社団法人日本スイミングクラブ協会創立のため、北海道釧路、北陸金沢、近畿名古屋、四国徳島、九州福岡を正村孝至と共に一緒に行脚して、社団法人 日本スイミングクラブ協会の創立に貢献致しました。
最後に、こうして盛況時のうちに無事に閉館出来ました事は、長年、ご愛顧頂いた会員並びにご父兄のご協力と波多野 勲先生のご指導始め多くのコーチ指導員の方々、関係団体の方々のお陰と感謝しております。
波多野 勲先生始め多くのクラブ指導員、関係団体の方々誠にありがとうございました。
2025年7月18日
町田スイミングクラブ
代表 越水 源造