
日本のスポーツ界の重要参考事項について
(越水源造の先見性)
鉄筋コンクリートの2階建、建物を取り壊すのに費用は2000万円を要しました。
今では、おそらく4000万円を超える資金が必要でしょう。
町田スイミングクラブが、1975年7月4日オープンしてから今日(2025年7月)まで50年の半世紀を経過、閉館してから今日まで29年経過いたしましたが、町田スイミングクラブを1996年12月31日閉館してから5年後の町田市教育委員会は
○ 2001年3月31日
忠生第4小学校、木曽小学校、閉校
○ 2002年3月31日
本町田西小学校、緑が丘小学校、原小学校、閉校
○ 2003年3月31日
忠生第6小学校、忠生第7小学校、忠生第5小学校、閉校
○ 2011年3月31日
本町田中学校、閉校
そして、2025年度までに町田市内の小学校は42校から26校まで再編、縮小され、なんと16校が閉校となりました。
これを日本全国に広げてみると
日本全国の公立小・中学校は少子化の影響で、2004年度から2023年度までの20年間で合計7600校から8800校以上が廃校となりました。2025年3月末時点での累計廃校数はさらに増加しており、約9000校を超える規模で推移しています。(読売新聞より)
日本全国廃校施設活用状況実態調査
令和6年度(2024年)5月1日現在について
このような少子化の現象はスポーツ界のみならず、日本経済にとっても極めて由々しきことです。
野球に、サッカー、ゴルフに、これからの日本の産業の発展にとっても、
また、日本の65歳以上の人口は2024年9月1日現在3625万人で、総人口に占める割合は29.3%と過去最高を記録しております。現在65歳以上の人々は1950年代、朝鮮戦争(1950年6月25日ー1953年7月27日)を経て60年代の高度経済成長時代に生まれた人達です。
当時、日本の経済成長は、1950年代後半 平均8.8% 、1960年代前半 9.3% 、1960年代後半 12.4%でした。
のちに、この世代は、働いて、働いて、苦労して頑張って働いて、日本経済の発展に大きく貢献された方々なのです。
それ故に、現代の若い世代の人々は、現在の高齢者をいたわり、大切にして頂きたと思います。
財団法人余暇開発センターが、開発推進した『 余暇 白書 』( レジャー白書 )は、国家公務員の『完全』週休二日制の実施
(1992年5月1日から)によって完成、『 余暇 』の定着を活用して、野球観戦やゴルフプレー、旅行や趣味を楽しんでいることは非常に喜ばしいことです。
高齢者3625万人の人々の内訳としては、65歳から74歳までの前期高齢者が1615万人、75歳以上の後期高齢者が、2010万人となっております。
町田市の2024年9月現在の人口43万574人で、後期高齢者75歳以上2010万人を割算すると、驚くべきことに、将来、町田市と同じ人口の 46.7市町村がなくなることを意味しております。
日本全国の人口減少に伴いスポーツクラブ始め種々の職業、業種の廃業、倒産が、数多く出ることが、私の目には、見通せることを、ここで、ハッキリと言つておきたいと思います。
そのような時代が目前に迫っております。現在、日本の野球界は巨人軍の黄金時代を築いた長島 茂雄、王 貞治、
そして、メジャーリーグの野茂 英雄、イチロー、大谷 翔平 選手の活躍による大記録のお陰によって全盛期を迎えております。
しかし、これからの野球界、サッカー界、ゴルフ界始め各種スポーツ界のみならず日本の産業界、経済界にとっても多くの人口減少の影響により、大変な時代が到来しようとしております。
現代の働き盛りの若い世代の人々は、今や、世界は量子・AI(人工知能)フィジカルロボットの時代を迎えており、産業経済界は大きな変革を求められております。
それ故に将来の夢と希望を抱き、一瞬のヒラメキと発想を以って、強く、強く、生きて、生き抜いて欲しいと願っております。
若い世代の人々よ!
頑張れ!!
町田スイミングクラブでは、全国ジュニアオリンピックの出場選手を多数輩出して、優勝者、入賞者を出しております。
町田スイミングクラブ選手の全国ジュニアオリンピック入賞者成績
町田スイミングクラブ創世記の選手

町田スイミングクラブ経営21年間に於いて
背泳ぎ、クロール、25メート完泳した少年少女3万5000名、平泳ぎ、バタフライを加えた4泳法をマスターした子供達、数万名を育成することが出来ました。
初心者から育成コースの子供達指導
120名を長さ25m. 幅13m.深さ1.1mのプールに於いて、準備体操30分を経て一度に120名を60分間を安全に指導出来ましたのは、浮きの赤色、黄色、青色の大、中、小、に分けた、浮ヘルパー付の紐を腰に巻き付ける 即ち、このヘルパー法を開発し、安全性を確立したのは、波多野 勲先生に他なりません。
今日、日本の水泳界を発展繁栄させた1人として波多野 勲先生の貢献度は、非常に大きなものがあります。
またこのヘルパー法のお陰で町田スイミングクラブは、21年間を無事故で運営し、経営が出来ました。
波多野 勲先生に心から感謝申し上げます。
誠に有難うございました。
毎週日曜日
15級から1級者までの進級テストの開催
進級テスト一覧表掲載
全国ジュニアオリンピック優勝者及び入賞者 選手記録
全国JOCジュニアオリンピック 優勝者・入賞者
| 選手名 | 区分 | 種目 | 順位 | 記録 / 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 1979年 | ||||
| 廣井 隆司 | 男子 13-14才 | 100m 平泳ぎ | 優勝 | – |
| 第2回春季 1980年 | ||||
| 畑中 宏二 | 男子 10才以下 | 100m バタフライ | 優勝 | 1:12.2 大会新 |
| 50m バタフライ | 5位 | 33.91 | ||
| 200m 個人メドレー | 2位 | 2:42.10 | ||
| 阿部 博一 | 11-12才 | 100m 平泳ぎ | 2位 | 1:16.13 |
| 50m 平泳ぎ | 5位 | 35.25 大会新 | ||
| 町田スイミングクラブ (三橋・阿部・畑中・前日) |
男子 11-12才 | 200m メドレーリレー | 5位 | 2:12.28 |
| 田中 清美 | 女子 13-14才 | 200m 個人メドレー | 6位 | 2:34.31 |
| 第2回夏季 1980年 | ||||
| 高橋 義則 | 男子 11-12才 | 200m 個人メドレー | コンソ1位 | 2:34.47 |
| 50m 自由型 | コンソ2位 | 29.73 | ||
| 100m 自由型 | 4位 | 1:03.65 | ||
| 大貫 一夫 | 男子 11-12才 | 50m 平泳ぎ | コンソ4位 | 37.33 |
| 100m 平泳ぎ | コンソ1位 | 1:21.47 | ||
| 畑中 宏二 | 男子 10才以下 | 100m バタフライ | 6位 | 1:16.90 |
| 町田スイミングクラブ (高橋・前田・大貫・小瀬) |
男子 11-12才 | 200m Fリレー | 5位 | 2:03.32 |
| 朝倉 裕美 | 女子 15-17才 | 50m 自由型 | 5位 | 29.62 |
| 第3回 1981年 | ||||
| 畑中 宏二 | 男子 11-12才 | 100m バタフライ | 8位 | 1:08.92 |
| 高橋 義則 | 男子 13-14才 | 1500m 自由型 | 8位 | 17:25.65 |
| 阿部 博一 | 男子 13-14才 | 200m 平泳ぎ | 優勝 | 2:32.09 のちに実沢に於て学量新記録 |
| 100m 平泳ぎ | 4位 | 1:12.0 | ||
| 町田スイミングクラブ (大貫一夫、阿部博一、前伊佐夫、高橋義則) |
男子 13-14才 | 400m メドレーリレー | 4位 | 4:25.91 |
| 田中 清美 | 女子 13-14才 | 400m 個人メドレー | 優勝 | 5:14.31 大会新 |
| 200m 個人メドレー | 3位 | 2:31.09 | ||
| 第3回夏季 1981年 | ||||
| 阿部 博一 | 男子 13-14才 | 100m 平泳ぎ | 5位 | 1:13.45 |
| 第4回春季 1982年 | ||||
| 前田 伊佐夫 | 男子 13-14才 | 100m バタフライ | コンソ5位 | 1:04.94 |
| 第4回夏季 1982年 | ||||
| 高橋 義則 | 男子 13-14才 | 400m 自由型 | 6位 | 4:31.61 |
| 第5回春季 1983年 | ||||
| 丸谷 直子 | 11-12才 | 50m バタフライ | コンソ5位 | 32.22 |
| 100m バタフライ | コンソ6位 | 1:12.39 のちに団体東京代表 8Rアンカーを務め優勝 | ||
| 第5回夏季 1983年 | ||||
| 丸谷 直子 | 11-12才 | 100m 背泳ぎ | コンソ4位 | 1:14.07 |
| 第8回夏季 1986年 | ||||
| 丸谷 直子 | 15-17才 | 100m 背泳ぎ | コンソ6位 | 1:10.91 |
| 200m 背泳ぎ | コンソ3位 | 2:28.20 | ||
| 第10回春季 1988年 | ||||
| 佐原 友子 | 女子 11-12才 | 100m 自由型 | B決勝8位 | 1:02.76 |
| 町田スイミングクラブ (小竹・長沢・吉田・佐原) |
女子 11-12才 | 200m Fリレー | 8位 | 1:58.20 |
| 第11回夏季 1989年 | ||||
| 佐原 友子 | 11-12才 | 100m 自由型 | 8位 | 1:03.15 |
| 200m 個人メドレー | B決勝4位 | 2:35.39 | ||
| 町田スイミングクラブ (長沢・吉田・穴澤・佐原) |
女子 11-12才 | 200m Fリレー | 8位 | 2:00.49 |
| 第14回春季 1992年(於 東京スイミングセンター) | ||||
| 国江 後也 | – | 50m | 20位 | 27.5 |
| 第15回春季 1993年 | ||||
| 吉原 健 | 男子 15-16才 | 200m 自由型 | 7位 | 1:57.49 |
| 400m 自由型 | 6位 | 4:06.08 | ||
| 西村 直美 | 女子 11-12才 | 100m 平泳ぎ | B決勝5位 | 1:18.32 |
| 第15回夏季 1993年(於 鈴奈良プール) | ||||
| 西村 直美 | 女子 10才以下 | 200m 個人メドレー | 3位 | 2:37.36 |
| 50m 平泳ぎ | B決勝3位 | 40.02 | ||
| 岡部 晃 | 男子 10才以下 | 50m 背泳ぎ | B決勝5位 | 35.64 |
| 第16回春季 1994年(於 東京辰巳国際水泳場) | ||||
| 岡部 晃 | 男子 11-12才 | 100m 背泳ぎ | B決勝5位 | 1:06.67 |
| 吉原 健 | 男子 15-16才 | 100m 自由型 | 8位 | 53.91 |
| 200m 自由型 | 8位 | 1:56.61 | ||
| 第16回夏季 1994年(於 東京辰巳国際水泳場) | ||||
| 西村 直美 | 女子 11-12才 | 50m 平泳ぎ | B決勝1位 | 36.34 |
| 100m 平泳ぎ | 6位 | 1:18.62 | ||
| 吉原 健 | 男子 15-16才 | 200m 自由型 | 7位 | 2:01.73 |
| 第17回夏季 1995年(於 東京辰巳国際水泳場) | ||||
| 岡部 思達 | 男子 11-12才 | 100m 背泳ぎ | B決勝5位 | 1:08.08 |
| 吉原 健 | 男子 17-18才 | 100m 自由型 | 8位 | 54.49 |
| 200m 自由型 | B決勝1位 | 1:58.70 | ||
| 第18回春季 1996年(於 東京辰巳国際水泳場) | ||||
| 吉原 健 | 男子 17-18才 | 200m 自由型 | 優勝 | 1:52.08 |
| 100m 自由型 | – | 51.95 | ||
| 400m 自由型 | 2位 | 4:01.39 | ||
| 第18回夏季 1996年 | ||||
| 吉原 健 | 男子 17-18才 | 100m 自由型 | 6位 | 54.49 |
| 200m 自由型 | – | 1:57.62 | ||
| 200m 個人メドレー | B決勝1位 | 2:17.22 | ||
| 第19回夏季 1997年(於 東京辰巳国際水泳場) | ||||
| 岡部 思達 | 男子 13-14才 | 100m 背泳ぎ | B決勝4位 | 1:02.72 |
多摩地区の春秋の公認記録会の開催
また、当時、多摩地区の公認プールは、藤村学園、金子スイミングスクール、町田スイミングクラブの3ヶ所しかありませんでした。
多摩地区新年フェスティバル 毎年開催
品川とびうお、とびうお杉並、町田スイミングの3クラブ対抗戦 開催
波多野 勲先生、運動生理学の慈恵医大教授、学芸大学教授の小野 三嗣 先生の指導により、日本最初のベビースイミングを始め、全国的に有名になる(妊娠中の赤ちゃんは、よう水の中で育っているので水に親しんでいる為)












町田市水泳協会設立に貢献
○ また、町田市水泳協会を1977年創立結成し町田市体育協会に1979年12月に正式に加盟致しました。
事務局は町田スイミングクラブ内に置きました。

井上恭一会長と越水源造
社団法人 日本スイミングクラブ協会創設の為、全国行脚
○ 私は、社団法人日本スイミングクラブ協会創立のため、北海道釧路、北陸金沢、近畿名古屋、四国徳島、九州福岡を正村孝至と共に一緒に行脚して、社団法人 日本スイミングクラブ協会の創立に貢献致しました。
最後に、こうして盛況時のうちに無事に閉館出来ました事は、長年、ご愛顧頂いた会員並びにご父兄のご協力と波多野 勲先生のご指導始め多くのコーチ指導員の方々、関係団体の方々のお陰と感謝しております。
波多野 勲先生始め多くのクラブ指導員、関係団体の方々、誠にありがとうございました。
2025年7月18日
町田スイミングクラブ
代表 越水 源造